12.老婆の正体


 見つかると思わない理由を魚屋の小母さんが話し始めた。

 それは、伊勢湾台風当時の娘時代の小母さんの飼い猫から始まった。伊勢湾台風の過ぎ去った後に、避難先から海岸近くの家に帰った娘時代の小母さんは凄惨な状況を見て立ち尽くした。呆然と立ち尽くす小母さんの足元に、可愛がっていた猫クロがいた。避難する時いくら探してもクロは見つからなかった。猫は家と共にいると誰かに諭され諦めて家を出た。生きていたと喜びクロを抱き上げた小母さんは衝撃を受けた。足に纏わりついていたはずのクロは死んでいた。クロは飼い主の小母さんの無事を確かめてから死んだ。小母さんはそれ以上の説明はしないが、暗にそう言っていた。命の限りに自分を待っていたクロを抱きしめて、娘の小母さんは痴呆者のように、忙しく動き回る人々に怒られながらも神社に向かった。途中で何処からともなく一人の老婆が現れた。老婆は娘の小母さんの手からクロの死体を取ると、「この子のことは任せて、あんたはやるべき事をしなさい」と言って踵を返した。言葉を失っている娘の小母さんは呆然と突っ立って老婆を見送り、老婆が何処に行ったかも記憶になかった。魚屋の小母さんは、その老婆が、あゆみの死骸を見つけてくれた老婆とそっくりだと言った。その時は気づかなかったが、何時しかその老婆のことを思い出したと言った。そして、「隣の御婦人と言い争っていた老婆」がそうだと言った。

 話を聞く女房は何度も私の方を見た。私達は何度も顔を見合わせながら小母さんの話を聞いた。

 「クロがいなくなってから、私は一人で、クロを見つけた場所に行ってきたのよ」 
 小母さんは新た話を付け加えた。

 伊勢湾台風の時の話を、私は以前にも聞いていた。しかし、その時現れた老婆が現在、同じ年恰好で現れるのは奇想天外な話であり、予備知識がある私でも衝撃を受け、女房の顔からは血の気が引いていた。

 小母さんの話は続いた。

 小母さんが最近開店したホームセンターを通り過ぎ、信号のある交差点の先で、瀕死のクロあわや轢きそうになった場所で佇んでいた。何時の間にか、向かいの雑木林の中から老婆が現れた。老婆の出現模様の表現に、苦慮した小母さんは何度も言い直し、最終的には老婆が立っていたに落ち着いた。雑木林から現われ所を見てないから、きっと雑木林から現われたと思われる老婆が立っていたになった。老婆は小母さんを見詰めているようだった。しかし、小母さんは「この子のことは任せて」と、老婆が言っているのだと思った。

 斑な猫クロの飼い主であった魚屋の小母さんは、クロがもう生きているとは思わなかった。そして、市民会館の集いでクロのことを話題にして、小母さんを揶揄ったカラオケのライバルは、交通事故で入院していると言う。交通事故は偶然に違いないが、偶然の出来事がクロの死と結びついいた。

 「クロの葬式だけは出してやろうかと思うの」
と言って小母さんは帰ったが、私たち夫婦は暫らく動けなかった。小母さんはクロの葬式を出すと言うが、死体も見つかっていないし、小母さんも無理にクロの死を主張しているような気がした。
 小母さんが帰ってからが暫らくは、夫婦で顔を見合わせ暫らく沈黙の時間が流れた。
 「ねえ貴方、この家に未練ある」
 突然女房が言った。
 「無い」
 私は間髪入れずに答えた。
 私たち夫婦には子供はいない。子供がいて、この家で生まれ育ったなら、この家をできるだけ守るのが親の務めかもしれない。しかし、子供のいない私達には家に対する未練などなかった。福祉関係の事業をしている女房は隣の小母さんも病気なのに可哀相だと何時も言っていた。少しの心遣いで精神的障害が取れるだろうと言うが、口の出せる立場ではない。自分たちが我慢すればと思ってきた。しかし、限界のような気がした。猫の死が人間の死にかわる事も考えられると思った。引っ越すのに問題がないわけではない。それは住所変更等の手続きである。サラリーマンの私は特に困る事はないが、自分で事業をしている女房は大変な労力を要求されるだろう。

theme : 自作連載小説
genre : 小説・文学

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